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「善意」のウェブアクセシビリティ

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今月の頭にGood Will or Genuine Effort? The True Motivations Behind Accessibility Compliance – Barrier Free Canadaという記事を@caztcha@fedibird.comがトゥートしてたのが目に留まったので、これについて少し書きましたというお話。

この記事にはカナダ固有のことが書かれているわけでもないのですが、カナダの法律の現状を少し見ておきましょう。

W3C WAIのWeb Accessibility Laws & Policies曰く、カナダにはThe Accessible Canada Act (The Act to Ensure a Barrier Free Canada)という法律が、政府と連邦政府の規制部門(Government and all federally regulated agencies)を対象にしているそうです。カナダ政府公式の概説としてはSummary of the Accessible Canada Actがあり、Applicationのセクションの説明では、銀行、運輸、放送通信の民間部門が対象になっているということです。

技術的な観点では、SiteimproveWhat is The Accessible Canada Act?がわかりやすいかもしれません。What are the web accessibility requirements under the ACA?のセクションでは、欧州規格EN 301 549を採用する、つまるところWCAG 2.1を直接参照しているということになります。

細かいところについては、ここでは見ていきませんが、要するにカナダでは特定の部門では法的枠組みとしてWCAG 2.1に取り組む必要がある、ということになっているそうです。

さて、そういう法的枠組みがあってもなお、善意(Good Will)という単語が冒頭のBarrier Free Canadaの記事(今年9月に書かれている)で出てくるのは興味深いところではあります。

Yet, despite these legal frameworks, adherence to accessibility standards often feels like a voluntary gesture rather than a legal obligation.

ということが記事では書かれていますが「法的な義務というよりかは自発的な行為に感じられる」というのは、日本でも往々にして見られる光景ではないでしょうか…?

障害者差別解消法でもって、合理的配慮(reasonable accommodation、合理的調整とも)の前段としての環境の整備があり、ウェブアクセシビリティは環境の整備として位置付けらています。環境の整備は法的には努力義務であるわけですが、ごく一部の熱心な日本の民間企業が、この努力義務に基づいて積極的にウェブアクセシビリティに取り組んでいる現状になっているとわたしは捉えています。

記事の続きのThe Role of Good Willのセクションでは、次のように書かれています。

Good will certainly plays a significant role in the accessibility landscape. Many companies go above and beyond compliance because they genuinely care about inclusivity. They understand that accessibility is not just a legal requirement but a moral imperative. This altruistic approach can lead to pioneering innovations that benefit all users, not just those with disabilities.

However, the reliance on good will alone is problematic. It means that the level of accessibility a person experiences can vary greatly depending on a company’s individual commitment. This inconsistency can result in a patchwork of accessibility measures, where the quality of access is contingent upon the company’s internal values rather than a standardized legal requirement.

かなりの意訳が入ってますが、こんな感じでしょうか。

善意がアクセシビリティでは重要な役割を果たしており、企業は包括性(インクルーシブ)を気にかけていることからコンプライアンスを超えて行動をしています。そのような企業は、アクセシビリティが法的な義務だけではなく道義的な義務もあることをわかっており、この利他的なアプローチが、障害者だけでなくすべてのユーザーに利益をもたらすイノベーションにつながる可能性があるでしょう。

しかし、善意だけに頼ることには問題があって、つまるところはアクセシビリティ視点でのユーザー体験は個々の企業の取り組み次第になってしまいます。社会全体で見たときに、あるところではアクセシビリティがある程度担保されているものの、別のところではまったくといっていいほど担保されていないという状況になってしまいます。これは、法的な要件がないからにほかなりません。

というのはまあ、日本の今の状況にほかならないかなと。限られた一部のアクセシビリティの熱心な企業、あるいはウェブ制作に携わる人が、ボトムアップ的にアクセシビリティに取り組んではいるものの、社会全体で俯瞰したときに必ずしも好ましい状況にあるとはいえないのではないでしょうか。

建物のバリアフリーでたとえていうなら、車いすのユーザーが、エレベーターの備え付けられている商業施設だから、その店を選んでいるというのが現状です。そうではなく、どの商業施設も最低限エレベーターが備え付けられていて、その人個人の好みで店を選ぶのが健全な状況ではないでしょうか?だからこそ、最低限商業施設にはエレベーターを備え付けましょうというわけです(実際、特定の建物にはエレベーターがなければならないと日本では法律で決められています)。しかし、ウェブアクセシビリティを最低限こうしましょうという、建物のバリアフリーと対になるような法律は日本ではありません。

もしも、あまたのウェブサイト上で提供されているサービスの中からウェブアクセシビリティとしてマシだという理由で、そのサービスを選んでいるしたら、それは果たして健全といえるのでしょうか。点在する善意によるウェブアクセシビリティの取り組みに頼り過ぎではないでしょうか?

もちろん、法律がすべてを解決するとは思いませんが、技術的に(WCAG 2を基準とするような)ウェブアクセシビリティを強制させる法律がないことから、WCAG 2に取り組まないことがコンプライアンス上の問題にすらならないわけです(WCAG 2でよいのか?という話もあるかもしれませんが、それはさておくとして)。

…というような趣旨のことを、わたしはここ数年ずっと言っているんですけれども。ウェブアクセシビリティに取り組んでいる、ウェブ制作に携わってる人に対して共感を得られているかというと、感触として怪しいんですよね…まあわたしの力不足なだけなのですが。

さておき、ウェブアクセシビリティがわかるウェブ制作者を増やすという観点でも、現場のボトムアップだけでは足りなくて社会的なトップダウンでもやっていく必要がありますよね、ということは今後も飽きずに言及していきたいと思います。


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